アフリカのブンジュ村で暮らした
日本人 SHOGENさんの著書
「今日、誰のために生きる?」
とてもいい内容なので
ご紹介します
ブンジュ村とは不思議な村で
縄文時代の日本の様な
暮らしをされているとのこと
今日はその中から一つの
エピソードを
P.79「血の繋がらない家族」
という見出しで書かれた項には
複数の家族で物が共有されている
様子が書かれています
中でも驚いたのが
包丁
今の日本だと1家族に
1丁ないしは2丁以上あるかと思いますが
ブンジュ村での包丁は貴重で
数家族でシェアされているそうです
「『みんなの物』という意識が強いので、とってもとっても大事に使います。」
「今日、誰のために生きる?」P.79より引用
「ジャガイモを切るために、自分には包丁が必要、と考えるのではなく、
包丁を持っている人のところへジャガイモを持っていく、と考えるのです。」
「今日、誰のために生きる?」P.80より引用
『自分の物』という感覚が薄い
「今日、誰のために生きる?」P.80より引用
「なんでも共有し分かち合うと、血が繋がっていなくても家族になれるのです。」
「今日、誰のために生きる?」P.80より引用
ため息が出ますね・・・
私に似た経験があるとするならば
姑に着物を借りた時
大切に着させてもらうのは
勿論の事
嫁入りに持たせてくれた義祖母の想いや
私にまで着させてもらってありがとう
という
感謝の気持ちが込み上げた事を
思い出しました
他には
姑と女同士の絆が生まれた感覚も
味わいました
まさに
家族になれた瞬間だったかも
知れませんね
自分の物
なんて
何一つとしてない
神道でも仏教でも
同じ様な考え方が
根底にあると思います
天国に行く時には
何一つとして物は持って行けない
持って行けられる物は
思い出と経験だけ
これは今でも
私の父の口癖です
"自分の物"
にこだわり過ぎる事を
執着と言います
これも取っておきたい
あれも残しておきたい
そうやって
執着まみれになってしまった
日本人が多いと感じています
"自分の物" が "みんなの物"
に変わると
温かい関係性が
生まれるのかも知れないですね
「今日、誰のために生きる?」
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執着に囚われない物の持ち方
私は引越しを7回経験し
嫁いだ先の空間には
嫁ぎ先の家族の物が沢山あって
ほとんど何も持たずに
嫁いで来ました
当時の私は今で言う
ミニマリスト
だったのかも知れません
当時はそんな言葉もありませんでしたし
やむを得ずでしたが…
家族の物が多くて
悩む人の気持ちは
痛い程よく分かります
収納の悩み
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